2011年5月の、ブッダの八大聖地を中心に、ブッダの生涯を追いかけた激走2700kmの旅の記録です。
ブッダの生涯の順に並び変えて、整理してみました。
西暦 (異説多数あり) |
年齢 | ブッダの足跡 | 2011年5月の様子 | ひとこと |
563BC |
0 | ルンビニー Lumbini 藍毘尼 |
仏蹟四大聖地の一つで、ユネスコ世界遺産にも指定されている聖地。 ブッダはここで、麻耶夫人の右脇から生まれたと伝えられます。 1896年に発見されましたが、アショカ王の石柱が決め手となりました。 |
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563BC ~ 534BC |
0 ~ 29 |
カピラバストゥ① Kapilavtthu① 迦毘羅衛① ティラウラコット Tilaurakt |
太子ゴータマ・シダールタが住んでいたカピラ城の跡。 こちらは、ネパール側の候補地です。 若い妻と、幼い子供をおいて、29歳の時、愛馬カンタカに乗って出家したシッダールタの心境は、いかばかりだったでしょう。 門の跡が残り、そこから眺める平原は、当時のままでしょうか? |
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563BC ~ 534BC |
0 ~ 29 |
カピラバストゥ② Kapilavtthu② 迦毘羅衛 ピプラーワー Piprahwa |
カピラ城の跡と言われます。 インド領で、ルンビニから結構ありますが、直線距離では、ネパール側の候補地と同じぐらいの距離にあります。 デリー国立博物館で展示されている仏舎利容器が見つかったことから、こちらの方が有力になっていますが、確定はされていません。 |
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528BC | 35 | ブッダガヤ Buddha Gaya 仏陀伽耶 |
仏蹟四大聖地の一つで、ユネスコ世界遺産にも指定されている聖地です。 ブッダが悟りを開いた場所。 悟ったとされる金剛宝座と、菩提樹が、メインですが、大塔も、玄奘が訪れた時には既にあったといいます。 近くには、悟る前に、苦行を行った前正覚山があります。 |
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528BC | 35 | ヴァーラナシー (ベナレス) Varanasi (Benares) 波羅奈 |
ブッダガヤで悟りを開いたブッダは、かつていっしょに修行した5人に会うべく、すでにバラモン教の聖地であった、ヴァーラナシーに向かいました。 今は、ヒンドゥ教最大の聖地となっています。 |
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528BC | 35 | サールナート Sarnath 鹿野苑 |
仏蹟四大聖地の一つ。 かつて一緒に修行した5人は、ヴァーラナシーの郊外にあるサールナートに住んでいました。 そして、悟ったブッダは、5人に対し、最初の説法を行いました。 すると、5人は、次々に、帰依することを誓いました。 仏教発祥の地。 |
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528BC ~ 483BC |
43 | ラージギル 王舎城・霊鷲山 Rajgir |
仏蹟八大聖地の一つ。 最初の説法から、45年間、ブッダは、亡くなるまで、北インドで説法を続けました。 当時の大国であったマガダ国の、ビンビサーラ王は、竹林精舎を寄進しました。 霊鷲山は、ブッダが好んで教えを説いたところです。 |
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528BC ~ 483BC |
35 ~ 80 |
サヘート・マヘート 祇園精舎・舎衛城 Saheth Maheth |
仏蹟八大聖地の一つ。 ブッダに帰依したコーサラ国のスダッタ王が、祇園精舎(サヘート)を寄進し、ブッダは、雨季には、ここで説法をしました。 コーサラ国の舎衛城(マヘート)には、賊徒アングリマーラがいましたが、ブッダは、アングリマーラさえも帰依させたといいます。 |
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528BC ~ 483BC |
35 ~ 80 |
ナーランダー Nalanda |
ナーランダには、有名な仏教大学があり、玄奘も、ここで、学びました。 世界でも最も古い大学で、5~12世紀に最も栄えました。 ブッダの弟子てある舎利弗と目連の出身地で、その縁で、ブッダもここで説法したと伝えられます。 |
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? | ? | サーンカーシャ Sankasya 僧伽舎 |
仏蹟八大聖地の一つ。 ブッダが生まれて7日後に亡くなって天上界におられる摩耶夫人に説法し、三か月後に降下されたと伝えらる場所。ちなみに、天に登られたと伝えられる場所は、祇園精舎の近くにあります。 法顕、玄奘が訪れた当時は、多くの僧が止住し、仏教を学んでいたと伝えられますが。 |
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534BC ~ 483BC |
29 ~ 80 |
ヴァイシャーリー Vaisali 毘舎離 |
仏蹟八大聖地の一つ。 ブッダが出家して最初に訪れ修行を始めたのもヴァイシャーリーであり、涅槃に入ると宣言したのも、ここヴァイシャーリーです。 元来、ヴァッジ国の首都でした。 アショカ王の石柱が、仏塔跡を見下ろしています。 |
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483BC |
80 | クシナガラ (クシナーラー) Kushinagar 狗尸那掲羅 |
仏蹟四大聖地の一つ。 ブッダが入滅された地。 近くに、荼毘塔も残ります。 堂内には、巨大な涅槃像がありますが、5世紀の作を伝えられます。 北枕ですが、これは、北のカピラ城の両親に対し、足を向けてはならないことから発したものといいます。 表には、沙羅双樹が。 |
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477BC | 第1回仏典結集(王舎城七葉窟) | 迦葉が座長を務め、阿難と優波離が、経と律の編集責任者でした。 | ||
377BC | 第2回仏典結集(ヴァイシャーリー) | |||
268BC~ 232BC |
マウリヤ王朝のアショカ王のインド統治 | アショカ王は、インドで初めて統一しました。 仏教を重んじ、各地にアショカ王の石柱を建てました。 |
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244BC | 第3回仏典結集(華氏城(パータリプトラ)内、鶴園寺) | |||
AD1世紀 | 中国に仏教伝来 | 後漢の時代。洛陽の白馬寺が最古の寺院と伝えられます。 | ||
150AD | 第4回仏典結集(カシミール) | クシャーン朝のカニシカ王の時代に、行われました。 | ||
399AD~ 413AD |
法顕のインド訪問 | 東晋時代の僧で、『仏国記』を著しました。 | ||
538AD | 日本に仏教伝来 | 百済を経由して伝来したと伝えられています。 | ||
628AD~ 645AD |
玄奘三蔵インド訪問 | 玄奘の著した『大唐西域記』は、当時のインドを知るための貴重な資料となっています。 | ||
おまけ① | 参考文献 | 今回の、ブッダの生涯を追いかける旅にあたって、読んだ、比較的入手しやすい本のリスト。 興味のある方は、どうぞ。 |
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おまけ② | 仏教にまつわる数字 | 本の内容にも、難易度の高低があるが、その中で、やはり難しいのが、仏教の教え。 その中で、数字が出てくる教えについて、まとめてみました。 |
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おまけ③ | ブッダの生涯を描いたタンカ | ブッダガヤで、ブッダの生涯を描いたタンカを入手しました。 チベット僧が、宿代代わりに、自分の描いたタンカを置いていくのだそうです。 見事なタンカの解説を試みます。 |